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| 『天野屋』は現社長で3代目となりました。1代目は会社の名前にもなっていますが、繁田平作です。 私自身も80年続いているのは知っていましたが、『天野屋』の歴史って?と疑問に思いました。 7年前、2代目繁田源作が亡くなった時、戦後の写真を見る機会がありました。 ただただ80年経ちました、では分からないので、私自身も歴史を振りかえよう!と感じ、今に至りました。 |
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| 創業者 繁田 平作 | 創業者 繁田 てつ |
| 昭和元年、創業者の繁田平作とその妻、繁田てつが天野屋繁田商店を創業した。当時はまだ菓子店はめずらしかった。 |
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1940年1月15日(昭和15年)現静岡市葵区新富町より火災が発生。 折からの北西の風にあおられてまたたくまに広がった。そのまま市街地まで火の手が広がり、当店もその被害に遭い、全焼する。 当時の話しを近所のおばあさんに聞いた事がある。当時の火の広がり方はとにかくすごくて、「大丈夫」と思っていたら、どんどん火の手が広がったらしい。 火災は翌日鎮火した。 |
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| 1940年1月15日(昭和15年) 静岡大火。 |
| 静岡大火の後、天野屋繁田商店を建て直す。 静岡大火の事もあり、今度は丈夫な店舗にするという事で、頑丈な店舗を建てた。これは繁田てつが当時の話をていたという事です。 |
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1945年6月(昭和20年)「静岡空襲」で当店も被害を受ける。 被害はほぼ静岡市街全域。聞いた話では空襲時、近くの谷津山まで逃げたらしい。 4年前の平成13年に店舗裏を改修する為、掘り返したところ、防空壕の痕跡が出てきた。すでに壊されて、レンガのみが出てきたが、多分、防空壕跡だろうという話しだった。 |
| 1945年6月(昭和20年) 静岡市街の焼け野原になった静岡市街。 |
| 「静岡大火」と「静岡空襲」で2度店舗を失った為に昭和25年以前の写真が全く見つからなかったのがものすごく残念でたまらない…。 |
| 下の写真は昭和25年頃の天野屋繁田商店。 昔は今のようにお菓子が1つ1つの袋に入っていなかった。 昔は一斗缶だったり、木箱に入れられてきていた。昔は今のように「賞味期限」というのは記載されていなかったらしい。 |
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天野屋繁田商店店舗正面写真 |
天野屋店舗内その1 |
天野屋店舗内その2 |
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天野屋店舗内その3 |
天野屋店舗裏。当時の配送のトラック。 |
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| 2代目 繁田 源作 | 昭和52年頃の店内 |
| 平成10年2月、繁田源作が亡くなった後、現社長、繁田由夫が3代目となる。 |
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| 現在の店舗 | 店舗内 |
| 最後に… |
| 歴史館を制作しようと考えた始めて、昔、いろいろな話を聞いた事を思い出しました。もっと詳しく聞いておけばよかったと本当に後悔しています。ただ、写真を探していて、戦後の写真ではあるのですが、見つかって本当によかったです。 店舗運営責任者 藤本 |
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